非を認めることから始まる

〝すみませんでした〟

自分の誤りを認め謝罪する事からがスタートです!

 

謝る前に事情説明や言い訳をする方がたまにおりますが、

順序は逆です。

理由はともあれ不利益を与えた事に対し、

先ずは非を認める言動と態度

そして申し訳ないと言う気持ちを表す事が

とても大切です。

 

不利益を与えは方にも〝言い分〟はあろうかと思いますが、

ただ、事実だけを考えれば

結果的に不利益を与えたのですから

何を言ってもそれは〝言い訳〟でしか過ぎません。

 

そして、もう一つ大事なポイントは

その対応のレスポンスです。

事が起こってからの謝罪と対処のスピード

このタイミングは結果を左右します。

 

クレームが生じた時

いかに早くそしてスムーズに対処するかは

〝非を認める〟事から全てが始まります!

やらなきゃ分からない。

やってもいないのに

分かったような事を言う人がいます…

それって本当に〝分かってる〟の…?

ま、自分の経験値で言ってるから

まんざら〝嘘〟ではないんでしょうが、

それはあくまでも、その人個人の経験値。

人が変わればもしかしたら上手くいくかも…

そぅ。人って他人からの意見に

やりもしないで判断している事って

あるんじゃないかと思います。

無駄かも知れませんが、

とりあえずトライしてみる。

成功か失敗かではなく、

やった事による経験値。

それは〝やってみないと分からない事〟

そぅ…失敗はしない事に

こしたことはありませんが、

やってみない事には得られない事って

めちゃくちゃ多いと思うんです…

たとえそれが失敗だとしても。

認識の違いを正す

トラブルやクレームが生じた場合、

誰しも直ぐに対処をするものと思います。

その後で発する言葉…

〝なんとかなって良かった…〟

〝大きなトラブルにならずに良かった…〟

 

いやいや。

十分大きなトラブルになってますから!

だから対処した訳でしょ!

 

人っておかしもので、

その場が取り繕えてしまうと、

問題が生じた事すら忘れてしまう。

問題が生じた事すら無かった事にする。

そして問題を隠蔽しようとする…。

この認識が大きな問題です!

 

何が一番問題が…

それは〝こうすればなんとかなる!〟

といった誤ったノウハウと認識が

個々人に浸透してしまう事です。

 

問題が生じたら

無かったことで誤魔化すのではなく、

再発防止と個人の責務を正す!

これができるか否かが

組織を腐らさないポイントだと

私は思っております。

一度で済ます。

あ、間違えた…直ぐやり直します。

誰しも間違えないように

注意はしているものと思いますが、

結果として間違えてしまった…

〝やり直します!〟

それは当たり前のこととして、

考えなければならないのは、

やり直しをする為の時間と経費のロス。

〝やり直したんだからいいでしょう!〟

〝大きな問題にならなくて良かった!〟

と思っているのは当の本人だけ。

そこには時間と経費のロスが

加味されていない…

おまけにやり直しとなると、

1度目以上に時間がかかる…なんて事も。

 

そぅ、大事なことは

〝一度で済ます!〟ということ。

その為には自分の勝手な判断や思い込みを

なくす事に注力するべきだと私は思います。

 

重要度合いと緊急度合いの判断

どのご依頼も重要で緊急です。

当たり前といえば当たり前ですが、

その上で〝あえて優先順位をつける〟事を意識してみては・・・

 

お聴きした要件・物件から順番に・・・

当たり前と言えば当たり前のように聞こえますが、

実は、処理側の事務的で安直な判断基準でしかありません。

というのは、案件には重要性と緊急性があります。

それを〝聴いた順番で〟といっていたら、

〝機を逃してしまう〟という結果になる経験は、

誰でも一度は経験しているものと・・・。

 

お聴きした要件・物件から順番に・・・

道理からすればごく当たり前の事ですが、

〝あえて優先順位をつけ〟事にあたる事を

意識してみてはいかがでしょうか・・・

それは反対に、

処理側の処理能力の高さと臨機応変さが

要求されるという事でもありますが・・・

 

お聴きした要件・物件から順番に・・・という言葉は

実は処理側が楽をしている、思考が停止している

と言えるかもしれません。

半歩の忖度

相手のことを考え気をまわす…

程良い気遣いや気をまわす事は、

人間関係においてとても大切な事です。

でも、時として

気を使い過ぎたり、気をまわし過ぎると

マイナスに働く事もあります。

 

そぅ…勝手な言い分ですが、

チョットだけの気遣い。

私はこれぐらいが丁度良いのではないかと

思っております。

別の言い方をするならば、

〝してやったのに!〟って思わない程度。

だって、

して下さいって頼まれた訳じゃないし、

自分が好きでやった事ですから…。

 

ほどほどの気遣い。

人間関係も気遣いも程々がちょうどいい。

 

 

表裏の舞台

人には向き不向きががあります。

表舞台でパフォーマンスが得意な人。

裏方として事務的にキッチリやる人。

そんな二人が両輪としてパートナーを組めた時、

結果って案外容易に出せると私は思っています!

 

表裏一人二役って方もたまにはおられる方思いますが、

それは主にプライベート的な場合が多く、

仕事や組織の中では、

やはり協力・協調関係が成り立っているか否かで

成果も大きく変わってくると思います。

 

一見すると表舞台の方が大切に思われるのですが、

私自身は裏方の存在がとても大切だと考えています。

歳を重ねるにつれ〝表にいることよりも裏方に〟

そんなスタンスや意識になってきました。

建物も基礎があってこそ!って考え・感じでしょうか・・・

 

先ずは自分がすべき仕事・知識・技術をコツコツと取り組む。

そして見えないように、見せないように取り組む。

その意識と姿勢が力となり結果に結びつくものと・・・。

表舞台に立つことが大切なのではなくて、

裏舞台でキラッと光る・・・

そんな立ち位置もいいのではと私は思います。

働き方改革のしわ寄せ

働く環境が大きく変わる中で、

一方で作られた〝ゆとり〟とひきかえに

一方で〝負のしわ寄せ〟をつくる・・・

機械化され計画生産できる

企業や業界はそうでもないのでしょうが、

下請け企業や機械化できない

手工業の産業にとっては、

〝ゆとり〟は生産減や売り上げの減少

そして財務悪化に直結する。

更に、社員さんの休みが増える事により

その実質労働生産の穴埋めとして

経営者の休暇休日は減少する一方・・・。

 

〝過労による自殺・・・〟

社員さんが過労により

自殺すれば社会や会社の責任が騒がれ、

経営者が自殺しても、

能力が無かった!で

片付けられてしまう現実・・・。

 

社員さんに過酷な労働を強いて、

自分はのうのうと・・・

そんな経営者はごく一部だと。

ほとんどの経営者は、

〝ゆとり〟のしわよせの穴埋めの為に、

早朝深夜、休日返上で仕事をしている。

 

経営者もロボットじゃない・・・

いつまでも体力や精神が続くわけがない・・・

もし、経営者が倒れたら。

もし、経営者が過労で自殺したら。

経営・存続すら危うくなってしまう・・・。

 

そんな状況がほんとうに

〝働き方環境改革〟なんだろうか・・・と

疑問に思う事がある。

 

他人から学ぶ・・・

日々仕事や私生活の中で、

他人がやっている事にチョットだけ注視してみると、

案外、〝どうなの?〟っていう行動をしている事に気づきます。

当の本人は良かれと思ってやってるんでしょうが、

他人からみれば〝こうやった方が…〟って思う事も・・・

 

それを言ってもらえれば幸せな事で、

大概は波風立てないように言わないのが普通。

〝人のふり見て我がふり直せ〟の諺のとおり、

言ってもらえないからこそ他人の思考・行動から学ぶ。

 

他人の言動から学ぶ事は、

実際の経験から得られた

〝反面教師〟的学びだと私は思います。

本人の自覚

本人の自覚…

最後はこの一言に集約されます。

何回注意しても、何度同じ事を言われても

できない人っていますよね。

それはできないんじゃなかって、

本人にやろうと言う自覚がないんです。

言い換えれば、

〝何故それをやらなきゃならないか〟

その真意が理解できていないと言う事です。

 

社内において叱責や注意をする時、

私は皆んなの前で、そして後からではなくその場で行います!

それには2つの狙いがあります…

 

一つ目は、一人の失敗事例を他の社員にも周知・共有しもらう事。

他の人が見ている前で叱責すれば、私も相手も、

第三者の目にさらされている事で、

理路整然と冷静に注意する事ができると考えているからです。

二つ目は、〝鉄は熱いうちに打て〟という事です。

〝喉元過ぎれば…〟の例え通り、時間が経過すれば、

失敗の責任感も薄れ反省の謙虚さも無くなってきます。

それは注意する方も同じまで、

注意叱責するポイントもずれてしまうという考えかたからです。

 

注意や叱責のやり方や考え方は人それぞれ…

人が人を注意するという事は本当に難しい事です。

注意された事や失敗の経験を生かすも殺すも、

最後は本人の自覚なんだろうと私は思います。